古代エジプト時代のビール
メソポタミア文明より多少後になりますが、古代エジプト時代にもビールは作られ、飲まれていました。「食べ物」を表す象形文字が「一鉢のビールと一魂のパン」により構成されているところから、その大切さが想像できます。古代エジプトの文明のビールは、パンと共に食べ物の象徴だったのです。
エジプトでのビール醸造の記録は、紀元前2000年頃から墓の壁画や象形文字のレリーフなどに見られるようになりましたが、ナイル川流域の文明の発展から見て、恐らく紀元前3000年頃には既に行われていたと考えられています。
死者を葬るための儀式的な文書に「死者の書」というものがあります。これは棺の中に入れた死後の世界の案内書ともいうべき書物なのですが、その中にも、ビールとパンが主要な食料であったことを表す記述がなされています。
ファラオの時代
古代エジプトのファラオの時代、ビールは非常に大きな名声と意義を獲得していました。ビールは古代エジプトの最高神オシリスとその妻イシスがファラオに伝えたものと言われていますが、紀元前2800年頃の文献の冒頭では、「オシリス神がここにビール王の王朝を建てた」とあります。
それはエジプト最北端のナイルの港として栄えたペルシウムの町。以降も常に「ビールの都」として大いに栄えました。
当時、ビールは通貨として流通していたので、税金や領土からの貢物としてファラオの元にたくさん届けられました。ファラオの宮殿には毎年ビールの入った壺が何千個も届き、そのため宮殿には王のための品質検査官がいて、ファラオの口に入るビールを厳しくチェックしたそうです。
労働の賃金もビールによって支払われていました。巨大ピラミッド建設の際に労働者たちの報酬として支給されたのもビールだったそうです。