ラガービールの歴史1

ビールは大きくエールとラガー2つの種類に分かれます。エールビールは英国を代表するビールで2000年にわたる歴史があります。一方のラガータイプの歴史は浅く、その誕生は15世紀のミュンヘン地方です。端的に言ってしまえば、この2つの違いは酵母の違い、それと醸造する温度の違いです。
さて、ラガービールの誕生には温度も非常に大きな要因でした。当時のヨーロッパの醸造家たちは、夏に醸造を行うと、高い気温でバクテリアや雑菌が増殖し、ビールが酸っぱくなって腐ってしまうので、大変苦心していました。

そこでミュンヘン地方の醸造家たちが考案したのが、気温の低い冬の時期にビールを作り、山の中に氷室を作ってそこにビール樽を貯蔵しておくという方法です。
従来のエールとの一番の違いは、この熟成させる温度です。こうして低い温度の中で熟成してできたビールは、とてもマイルドな味わいだったため、以後冬に仕込んで貯蔵する貯蔵ビールが定着します。
「ラガー」とは貯蔵を意味しているのです。バイエルンでは3月仕込みのビールを「メルツェンビール(3月ビール)」といいます。

醸造技術の革新

19世紀は醸造技術の面でも様々な革新がありました。ミュンヘンのガブリエル・セドルメイルとウィーンのアントン・ドレハーが協力して最初の冷蔵技術を完成させ、ビール醸造所に装置を設置、季節に左右されずビール作りに最適な環境を作り出すことに成功します。
またチェコのピルゼンの醸造家たちがミュンヘン生まれの下面発酵ビールを作ることとなり、醸造所を協力して建設。ビール醸造職人を招聘して、下面発酵ビールの醸造に着手しました。
1842年にピルゼン市民醸造所で出来上がったビールは予想に反して、明るい黄金色、白くきめ細かい泡が立つすっきりとした喉ごしのビールになっていました。
これが日本を始めとする現在のビール主流タイプであるピルゼンビール(ピルスナー)の誕生です。この飲み口と色はビールを飲む容器にもこだわりをもたらします。

ちょうど1845年に英国でガラスの税金が撤廃され、大量生産による安いガラス容器が出回ったことも重なって、人々は透明なグラスでピルゼンビールのような淡色のビールを楽しむようになりました。
続く1866年。フランス人細菌学者パスツールによって低温殺菌法(パストリゼーション)が編み出されます。パスツールは酵母の正体が微生物であることを突き止めたことでも知られています。
これと前後してデンマークのクリスチャン・ハンセンが酵母の繁殖に成功。さらに1873年に、ドイツ人のリンデによるアンモニア冷凍機の発明により、ラガービールがその地位を確固たるものにします。冷蔵技術の進歩によって、冷やして味わうビールの文化も根付いたのです。