エールビールの歴史1

イギリスには、6世紀頃に大陸からアングロサクソン人が移住してきます。これと共にキリスト教の布教が始まり、教会が各地に建てられました。
8世紀頃からは教会は、社会の中でも重要な地位を占めるようになります。人々が教会へ行って様々な教えを請うことは日常的になり、教会や修道院の周りには、訪問者や巡礼者のための飲食や宿泊の施設が数多く現れました。これが後の「エールハウス(居酒屋)」や「イン(宿泊所)」の原型となっています。

9世紀末には、おびただしい数のエールハウスが、都市部だけでなく小さな村にも開業しました。12世紀末から13世紀頃になると、それらが軒を並べて林立するようになり、さらに、宿・食・エール、全てを備えた商業施設「イン」が登場します。
巡礼の流れは絶えずやってくるため、通過路となる地域に経済的にも潤いました。しかしそこには悪徳商人も横行し、被害を蒙る巡礼者が増えてきました。
14世紀後半、国王リチャード2世が義務付けたのが看板です。教会や修道院への巡礼を奨励する一方で、巡礼者が安全に旅をできるように、酒を扱う商業宿泊施設には、戸口にそれと判別できる看板を掲げさせたのです。
これがインの看板(イン・サイン)となります。エールハウスでは軒先に目印としてほうきを掲げ、これは「エールステーク」と呼ばれました。

エールビールの歴史2

エールは生活必需品。中世までビール作りは家事の項目に数えられ、女性の仕事でした。各家庭に伝統のレシピがあり、その家の娘が嫁に行く時の嫁入り道具は、家の伝統のレシピとビール仕込み用の鍋でした。
それほど、女性たちはビール作りに習熟していたとも言えます。エールハウスが繁盛していき、新規参入が相次いでいくと、ビール作りができる魅力ある女性は、エールハウスの主人になっていきます。

これらエールハウスの女性は「エールワイフ」と呼ばれていました。旨いエールビールが作れるエールワイフは尊敬され、男性達に人気がありました。
エールワイフは男性のアイドルでもあったのです。反面、エールワイフは魔女のようにも考えられていました。エールハウスによっては、分量を偽ったり、混ぜ物をしたビールを売りつけられたり、酔った客の財布が抜き取られることがあったからです。
そういったエールワイフへの刑罰は、例えば分量をごまかしただけでも火あぶりの刑に処せられるなど、特に厳しいものでした。
あまり良い逸話が残らなかったこともあってエールワイフは次第に減少し、男性がエールハウスの主人になっていきます。