ポーターの登場
18世紀に入ると、「ポーター」というビールが登場します。当時、よく飲まれていたエールが3種類ありましたが、それをブレンドして飲むのが人気でした。
居酒屋では、注文の都度ブレンドしていましたが、店にとってはとても面倒でした。そこで1722年にロンドンの醸造家ラルフ・ハーウッドが初めからブレンドしたビールを樽に詰めて販売しました。
これがポーターの誕生です。折からの産業革命の中で、安くてすぐに飲めるポーターはロンドンの下町の労働者たちにも人気がありました。
「ポーター」という名前の語源としては、「ポーター」という港の荷物運び労働者の人気を博したから、または、ハーウッドがビール樽を届ける時に「ポーター!(運んできたよ!)」と大声で叫んだから、など諸説あります。
いずれにせよ、18世紀から19世紀半ばの150年ほどの間、このポーターは爆発的な人気がありました。ロンドンの醸造家たちや地方の醸造所もポーターの製造販売に着手、一気に成長しました。
ちなみにポーターの発案者のハーウッドは生みの親として賞賛されましたが、事業的には大きな成功はしなかったようで、当時の醸造業界の有力者、富豪のリストに彼の名前はないそうです。
いずれにせよ、このポーターの登場が、ビールの製造が「手造り」から「産業」へと変貌を遂げるきっかけとなったのです。
ロンドン・ポーター
ロンドンでのポーターの人気をうけて、その他の地域の業者もこぞってポーターの醸造に着手します。しかしロンドンの水だけがポータータイプの醸造に適していたため、なかなか成功はしませんでした。そのためロンドンで作られたポーターは特に「ロンドン・ポーター」と呼ばれ、各地に出回りました。
ロンドン・ポーターはアイルランドにも広まります。当時地元アイルランドのポーターはロンドン・ポーターに押されていましたが、そんな中で躍進したのが、1759年にダブリンで創業したギネス社です。
ギネス社はポーターを徹底的に研究し、19世紀にはポーター専業を宣言。品質でもロンドンポーターに勝る技術力を持つまでになったことで、「強い」という意味を持つ「スタウト」をつけた「スタウト・ポーター」として売り出します。
この「スタウト・ポーター」はロンドンにも流出、大人気となります。ギネス社はこれにさらに手を加えて、独自の「スタウト」を売り出します。
ギネス社が生み出した「スタウト」の製法は一つの「お手本」として確立、アメリカをはじめイギリス以外の各国でも、醸造所ごとに必ず一つは「スタウト」タイプのビールがラインナップされるほどになったのです。