ドイツビールの発祥1
北ヨーロッパでは、古代ゲルマン人が定住生活に入った紀元前1800年頃には、すでにビールが作られていたことが記録されています。 ゲルマン人やケルト人のビールは、麦類を麦芽に加工するという、現代にも通じる作り方をしていたようです。もともとこの地方では穀物が栽培されていましたし、紀元前800年ごろの古代の「ビールジョッキ」が、ドイツのクルムバッハで発見されています。
また、スペインなどの西ヨーロッパでも、ビールが飲まれていたようです。ローマの博物学者プリニウス(23~79年)が書き残した資料にはガリア地方、スペイン地域の酒について「穀粒を水に浸して作る酒であり、この飲み物は保存性に優れているという」と記されています。 ただし、一方で古代のローマやギリシャでのビールには諸説あり、エジプトから輸入し、その作り方を学んだとされるものの、地域的に麦が育ちにくいこともあり、おおむねブドウ酒の方が主流だったようです。 しかし地中海においては、象牙をやわらかくして宝飾品を作るために、船数隻分ものビールを購入することがたびたび行われていました。
ドイツビールの発祥2
古代ゲルマン人は『北方の蛮族』として蔑まれていました。ライン川やドナウ川の彼方に住む未開の民と見られていたのです。ブドウの栽培できる地域ではギリシャやローマの文化を受け継いでブドウ酒を飲んでいましたが、それ以外のゲルマン人は麦を使ったビールを主に飲んでいました。 ローマの歴史家タキトゥス(55年?~120年?)もやはり差別的な認識をしていたようで、著書「ゲルマーニア」の中でゲルマン人の飲むビールについて、「大麦または小麦から作られ、いくらかブドウ酒に似ているが、品位の下がる液体」と記述しています。 その一方でゲルマン人の性質は、粗野で乱暴だが、酒宴を好む、と言っています。ローマ人はゲルマン人を傭兵として使っていましたが、彼らの性質はローマ軍にとっても好都合だったそうです。 考古学者の説では、軍役に使われたと思われるローマ軍の醸造所がドイツにひとつ残っていたとされています。現地で徴用されていたゲルマン出身のローマ軍兵士は、ビールを飲むことによってゲルマン人としてのアイデンティティを失わずにいたのかもしれません。